「経絡というのは、東洋的な生命観に基づく最も根本的な生体調節系統である」と増永氏は定義している。

目に見える構造的な人間の体が陽ならば、目には見えないが、本質的な部分で生命活動を支えている陰の働きが経絡である。三次元的な構造(陽)が発達すればするほど、物事の本質(陰)は見えにくくなる。しかし陰が存在するからこそ陽が存在する。動物が死んでも構造(体)は残るから、構造が生命の本質ではない。生きている者のみに経絡は存在するのである。

「経絡が生命に固有のものと考えるならば、それは細胞にみられる原形質流動の発展したものと考えるのが適当だろう。細胞が分化したとき外胚葉は皮膚・神経系となって外と内とを連絡した。内胚葉の内蔵もやはり外界との適応・交流のために原形質流動を経絡系統として連絡に当てたとみるのである。この交流・適応ののぞき穴が、皮膚の感覚器のように経穴として開孔していると考えてよろしかろう。」

経絡が実際には何であるか、さまざまな議論が行われている。脈管系統なのか、神経系統なのか、云々、という議論である。しかし、氏は「経絡は生命の本質である」との考えから、アメーバなどの原始的な動物に見られる原形質流動が発達したものであるとの仮説を打ち立てている。脈管系統や神経系統は、高度に発達した動物にのみ見られる構造物であるので、経絡が生命の本質的な働きであることを考えると、単細胞動物のような原始的な動物にもその働きがなければ矛盾するからだ。

「経絡というのは、東洋的な生命観に基づく最も根本的な生体調節系統である。これに対する治療法は、局部的な経穴(反応点)を発見することではなく、全身的な異常感(虚実)を察知しなければ決定出来ない筈である。切診とはピッタリ皮膚を密着させて患者の状態を知る方法であるが、このような方法では高等な判別性感覚である触覚は働かず、生命を共感する原始感覚が優位になってくるのでる。」

経絡は全身の各部をつなぐネットワークとして流動する性質を持っている。その流れと言おうか、陰陽の配分が正しいときに、人間は健康だということができる。その流れに異常(虚実)が生じたときに、ツボという形で体表面に反応が現れてくるのである。

つまり、経絡というネットワークを持つ多面体として人体を捉え、その歪みを直すことが東洋医学の治療の本質である。指圧であろうと、鍼灸であろうと、漢方であろうと、経絡の虚実(歪み)を診断し、調整することがその目的なのだ。だから、この病気にはこのツボ、とか、この病気にはこの漢方薬、という病名治療は、形の上では東洋医学的な手法を使っていても、本質的には東洋医学とは言えないということになる。

またまたつづく

長くてすみません。。。

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