増永静人氏(1925-1981)は独特の経絡理論に基づいた「治療としての指圧」を実践し、世に広めた人物だ。

医療者として実践だけでなく、東洋医学の概念や特殊性、生命の本質としての経絡についての洞察を行い、ややもすると西洋医学に追従してしまいがちな、または各々の流儀に固執して全体としての進歩をしようとしない(しているように見えない)日本の東洋医学界に警鐘を鳴らした、当時の東洋医学界におけるオピニオンリーダーでもあったらしい。

「東洋医学が未だにその診断を、不確実な人間の五感のみに頼っているということは、それなりの意義と価値があるためで、決して頑なに文明開化を嫌悪し不便で非合理な伝統を固執するからではない。何ごとも合理性客観性をもって存在価値を決めようとする自然科学の傾向に対して、東洋医学は全く別個の価値体系によって構成されているので、同じ方法手段を用いることは出来ないためである。病名診断と証診断の相異は、単にその決定する対象の差にあるのではなく、診察方の内容が既に根本的に異うということからきている。病名とは、科学的に分類された病変部の解剖的変化またはそれを予想させるような機能的障害の種類によって付けられたものだから、この特徴を複雑多様な現象から抽出し、生体に傷害を与えない配慮の下に検査して、多くはその実態を見ずに予想しなければならず、しかも決定されたものは客観的で法則性をもつ唯一のものでなければならぬという条件がある。有名な内科医の誤診率が二〇%程度であったという告白は、この内情を知る者にとっては、むしろその少なさに驚きを覚える数字なのである。」

東洋医学と西洋医学の相違について、簡潔に説明するのはなかなか難しい。

私がこの本を読んで感銘を受けたのは、東洋医学の本質、ひいては生命の本質というものについて、経絡と言う考え方を通して、(私としては)とても納得のいくかたちで、述べられていたからだった。

「陰陽とは『生命の相反する二つの傾向性』である。」

陽と陰とは、たとえば、日なたと日かげ、男と女、昼と夜、火と水、木の地上に伸びた部分と土の下に隠れた根、など。そしてその相互の関係が、事物の生成発展の原動力となるというのが陰陽思想の考えであり、そのような生命的な陰陽思想に東洋医学は基づいている。

「生命は無生の恩慧の下に、生存し発展してゆくが、その中にも無生を含み、反対方向の働きを本質としてもっている。生まれたものは死ぬのであり、昼活動すれば、夜眠らねばならぬ。ものを分かち、自他をわけ、明らかな動きをもつことが体制(動物)神経の役割であるならば、これを支えて環境と同化し、自他を協力させて自然の一様さの中に静かに生を営むのが自律(植物)神経になっている。その自律神経も、体制神経の活動に交感するのが交感神経ならば、これに拮抗しているのが副交感神経であり、副交感がその基調となって生命の活動を支えている。」

人間の体にも当然陰と陽の働きがあり、健康なときはそれらが調和を保って存在している。単純に言えば、それらのバランスが崩れたときが、治療が必要なときである。

つづく。

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